太田裕佳(姉)プロフィール
岡谷市生まれ
昭和49年12月17日
二人姉妹の長女
地元岡谷が大好き
カーリングジュニアチーム初代日本代表
1児の女の子ママ
お酒は飲めません お肉と甘い物が好き
スターバックスで過すカフェ時間がリフレッシュTime
詳しいプロフィール
ここでは、これからカルフールにお越しになろうと思っている方々に少しでも私のことを知ってもらおうと、少し長いですが詳しいプロフィールを書かせて頂きます。
ぜひお読み頂ければ幸いです♪
私は岡谷生まれ・岡谷育ち!
私は長野県岡谷市に生まれ、岡谷で育ち、ずっと岡谷が大好きです♪
そんな私ですが、小学校1年~3年の頃と、東京の専門学校へ進学した2年間は、岡谷を離れていました。
そんな経験もあるためか、「やっぱり岡谷が好きっ!」という想いが人一倍強く、より一層、岡谷の町が大好きになったのかもしれませんね!
小学校1~3年生の時は、実は、私はぺルテス病という足の病気にかかり、下諏訪にある、学校が併設している病院に入院していたため、岡谷を離れていました。
当時、ぺルテス病とお医者さんに診断された際、手術を薦められましたが、私の両親が、なんとか手術をせずに治せる病院はないか、と東京など他県まで調べて探してくれました。結果的に下諏訪に対応いただける病院があったので、なんとか長野県内に留まれて、入院・治療しながら併設の学校に通っていました。
おかげで手術をすることなく治り、4年生の時に退院して自宅に戻ってきました。本当に両親には感謝しかありません。
そして、中学の頃には、「両親の店を継ぐんだ」というおぼろげな将来を見据えていて、高校卒業後テレビのCMでよく見ていた「東京商科学院 ファッションビジネス学科」に進学します。
東京での進学と言うと、「都会で勉強しながら遊ぶ」というイメージもあるかと思いますが…。
今の私をご存じの方はわかって下さると思うのですが、私はのんびり屋さんなので、人混みやセカセカしている雰囲気が苦手で…。
専門学校時代は、小田原に住んでいた叔母の実家にお世話になっていたので、学校が終わったらすぐ小田原に帰るという日々を過ごしていました。
でも、叔母さんや近所の皆さんが、お世話を焼いてくれる親切な方ばかりで!
たとえば、私が体調を崩した時は、近所の人が心配して食事を届けてくれたり、料理を教えてくれたり、すごいお世話してくれたり。
「本当に私は人に恵まれている人生だな~」と、今改めて感じています。
岡谷へ戻り就職!
専門学校を卒業すると、私は婦人服店に就職します。20歳の時です。
両親のお店で働きたいという想いはあったのですが、父から
「まずは、よその釜の飯を食ってこい」と言われ、その言葉で就職活動をスタートしました。
でも、私は先ほどの通り、東京での生活を体験して、より一層、
「岡谷に帰りたい!岡谷から通える会社に絶対就職する!」と言う意気込みになっていて!
でも、当時、就職氷河期と言われている時代で、岡谷での仕事の選択肢は少なくて…。
それでも、必死に就職活動や面接を受けて、地元の婦人服店のロン・都に就職しました。
就職先では、婦人服の販売員を担当、1年半ここでお世話になりました。
当時の仕事を一言で言うと、
「めちゃくちゃ接客が楽しかった!!」
という思い出です。
お客様が自分の提案したお洋服やコーディネートを気に入って下さったときが、嬉しくて!!
当時、品出しもせず、接客をしていたこともあったので、店長に目をつけられたりしていましたが…。
それでも、会社の仲間たちにも恵まれていて仲良しで!忙しさの中にもやりがいや楽しさをすごく感じていました。
カルフールの店長に!
そんな折、岡谷市に東急百貨店が出店するという計画が!
そして、なんと、カルフールにテナント入店できる権利があるということで、カルフールが東急百貨店に入ることが決まりました。
父がこのタイミングで、私を店長にすると考えてくれ、勤め先を退職。
そして、東急百貨店に入るためリニューアルしたカルフールの店長として勤めることになります!
子どもの頃からの夢が叶った瞬間!本当に嬉しかったですね!
1997年、私が23歳の頃でした。
当時、うちの会社には、父母が切り盛りする本店とカルフールの2店舗がありました。
つまり、カルフールの店長と言うことは、1店舗を任されたという、責任重大なポジション!
そんな責任感を感じながらも、やっぱり、お客様への接客のお仕事が更に楽しくて!
しかも、地元の岡谷に東急が来たことで、町全体が華やかで綺麗になった感じがして、嬉しかった思い出があります。
東急オープンの時は、本当にたくさんの方々に来ていただいて!
「こんなにたくさん、岡谷に人がいたんだ~!」と感じたのを憶えています(笑)
東急撤退と結婚。それでもカルフールで仕事がしたい!という想い
しかし、なんと、2000年におかや東急百貨店が撤退するという事態に!
撤退時はかなりバタバタで大変でした…。
それでも、現在のイルフプラザに入店でき、今現在の店舗に落ち着きました。
でも、東急閉店後は当店も売上が下がり出し、メーカーの変更など経営が徐々に厳しくなっていきました。
それでも、
「私はお客さんが好き!カルフールが好き!地元の岡谷が好き!」
という想いで日々、仕事に打ち込んでいました。
そして、私が32歳の時に結婚。
しかし、ここで問題が…。
旦那さんは、岡谷市から車で1時間以上かかる長野市で勤めています。
そうすると、私がカルフールで仕事を続けることをどうするか、考えなければならない決断を迫られました。
「でも、私はカルフールで働き続けたい!岡谷で仕事をしたい!」
その想いは揺るぎませんでした。
そして、勇気を振り絞って、旦那さんのお母さんに、
「私、家業を継ぎたいんです!」
と、伝えたところ、
「じゃあ、別々に住むという選択肢はどう?」
という温かい言葉をかけてもらって!
結果的に「週末婚」という形の家族の形がとれ、今でもカルフールで仕事を続けられています!
お義母さんや主人に、本当に感謝しています!ありがとうございます!
その後、娘を出産。
実は、妊娠中、切迫流産・早産で…。
もう、安静にするしか対処ができない状態になってしまっていました。
当然、お店に立つことはできません。そんな危機を助けてくれたのは、私と一緒にカルフールで働いている、私の妹のひろちゃんでした。
仕事を一手に受けてくれて、がんばってくれて!
おかげで、無事に娘を出産できました。
その後も、ひろちゃんが娘のお風呂の世話など、一緒に手伝ってくれました!
更に、私はとにかく仕事に早く復帰したくて、生後1か月の娘を連れて復職!
当時のお客様は覚えていらっしゃるかもしれませんが、私たち姉妹と同じように店で、おじいちゃん手作りベッドで娘は過ごしました。
お客様達が娘の面倒を見てくださり!
申し訳ないという想いもありながら、本当に本当に嬉しかったし、たくさんたくさんお客様達に助けてもらいました。
そして、今や私よりも背が高くなった娘にも本当に感謝しています。
「週末婚の両親」・「仕事に忙しい母」という私のわがままに付き合ってもらってて。不便なこともきっとあると思うんだけど、私のことをすごく応援してくれています。ありがとう。
も~、何度もこの言葉を言ってしまいますが、ほんと~~~っに、私は周りの人達に恵まれています!本当に感謝しかないですっ!ありがとうございます♡
もっと仕事を頑張るため、経営の勉強をスタート!
しかし、東急撤退後も経営が厳しくなる一方。しかも、インターネットの時代に移り変わっていき、オンラインショップでお洋服が買える時代になり、更に売上が厳しくなっていきます。
2013年には、母が体調を崩し父母が営んでいた本店は移転。カルフールに父母も移行し、元々カルフールで勤めていた私と妹という、今の形式の「家族4人のカルフール」という体制になりました。
そんな折、ビジネス雑誌でたまたま見つけたマーケティングの勉強会に望みをかけて2018年に参加!
そこで学んだことを活かして、今までのお客様の世代のお洋服ブランドとともに、私の世代にも合うお洋服のブランドを追加。
また、お客様にもっとゆったり楽しんでもらえるよう、写真のおしゃべりスペースも作りました!
少しずつ、今までのお客様が再来店してくれたり、新しいお客様とのご縁も増えていきました。
コロナ禍が…。カルフールの存在意義ってなに?
ところが、2020年にコロナ禍が…。
岡谷市だけでなく、日本全国で人の動きが止まってしまいました。
もちろん、お店のことも心配にはなりましたが、それよりも、もっともっと心配だったのがお客様のことでした。
「お客様も不安で心配なことだらけのはず…。私たちが、今、お客様にできることって何だろう?」
「お客様にとって、カルフールの存在意義って何だろう?」
ということを、すごく考えました。
そこで、気づいたことが
「私たちは、お洋服のご相談にも乗りたいけど、カルフールに来て元気になってほしい!息抜きに来てほしい!おしゃべりをして笑顔になってほしい!それを伝えたい!」
ということでした。
「私たちはお洋服も好きだけど、、、それよりもお客様が好き!お客様に笑顔になってもらいたい!」
このことをなんとかお伝えしたくて。
そのためにはじめたのが、カルフールレターです。2020年7月から毎月発行をはじめました。
この写真のチラシが、カルフールレターなんですが、このコンセプトは
「プロのモデルさんの着用写真じゃなくて、私がモデルになる!」
っていうのがコンセプトで!
なぜかというと、これを見たお客様がクスっと笑ってくれるかな、と思って!
コロナ禍の暗い雰囲気の中で、「私に何ができるかな」、と考えた結果がこの表紙でした。
お客さん達に、お洋服だけじゃなくて、笑顔や元気を届けたい!
その想いで、今も、毎月、カルフールレターを発行しています。
たとえば、このカルフールレターを見てご来店いただいた方が、「ゆかさん、カルフールレター見たわよ!」と笑顔で話しかけてくださって、たくさんお洋服を見て、たくさん試着されて、そして、たくさんおしゃべりして…
そして帰りがけに、
「あ~~~!すっきりした!楽しかったよ~~!」
と言ってくれるこんな瞬間。
私は、本当にこの仕事のやりがいを感じます!
この仕事を選んでよかった!カルフールで仕事ができて本当によかった!と思えるんです!
カルフールが伝えたいコト
最後になりますが、これをお読み頂いている方にお伝えしたいコト。
それは、
私たちは、自分の生まれ育った大好きな町・岡谷で、たくさんの人たちに元気をお届け続けられるお店を目指してします!
ということです。
「カルフールでパワーをチャージして、また毎日の生活を頑張ってもらいたい!」
「サプライズも大好きだから、お客様の大切な方へのプレゼント選びもお手伝いしたい!」
そんな想いで私たちはおります。
私自身、小さいころから、地元の商店のおじちゃんやおばちゃんに救われてきた一人です。
父と母が商売をやっていたので、毎日とても忙しかったのですが、私とひろちゃんはあんまり、「寂しかった」という思い出がなくて。
それは、当時、ご近所のお店の皆さんが、毎日のようにおかずのおすそ分けをしてくれたり、声をかけたりしてくれたからなんです。
だから少し、おせっかいと思われたとしても、私も同じことをやっていきたい!
私たちはお客様の笑顔を見たいから、たくさん声をかけちゃうかもしれません(笑)
「お洋服」って、元気や心のテンションを上げるためのひとつの「道具」だと思うんです。
まずは、お洋服を買うか買わないかはともかく、遊びにくる感覚で足を運んでもらえればうれしいです!
時には、友達のように。
時には、母娘のように。
時には、姉妹のように。
私たちと一緒に過ごす時間を楽しんでもらえれば、なによりも嬉しいです。
ここまで長文をお読みいただき、本当にありがとうございました。
皆様とお会いできること、心から楽しみにお待ちしております。
カルフール店長 太田裕佳
小林 弘佳(妹)プロフィール
姉からご紹介させて頂きます
優しくてとても器用。私にとって年齢的には妹であるのはもちろんですが、時には姉であり、親友でありかけがえのない存在です。私の異変にはすぐに気づき、私の気分が滅入っていると、即座にプラス思考に変えてくれます。
自分の事よりまず相手の気持ちになって考えるあまり自分がつらくなる事も多々…見ていて
もっと自分勝手にすればいいのに…と思う事も。
マスクづくりに挑戦
2020年のマスク不足の最中、お客様からの「ひろちゃんマスク作って~」のお言葉をきっかけにマスクづくりにチャレンジ。
ウィンドウディスプレーの製作をしていたひろちゃんの器用さをご存知のお客様からご要望をいただきましたが…実は
針と糸は家庭科の授業で使った事があるくらいのお裁縫初心者さん。
約200枚以上のマスクを作り、今やお客様からのオーダーメイドマスクやご依頼アイテムも作ってしまうまでに成長!
カルフールのウィンドウ